肆
「人助けをした後と言うのは気分がいいですね。ねえ、社長」
太宰の褪せた目が大きくなって福沢を見ていた。ぽかんと開いた口。福沢の手は太宰の腰をしっかりと抱きしめている。ぎゅっと引き寄せ肩に担ぎあげられるのに太宰はえっと漏らす
なにをとその口が言うのに福沢は暴れるなと言っていた。
「毒を飲んだのだ。これ以上歩かせられないのは当然だろう」
淡々と告げる。ぴたりと太宰の動きが止まり、福沢を見た。もしかして気付いていました。という声は少しだけ不思議そうだった。
「ふらふらしていることにか。それなら最初から気付いていたが、依頼人の手前言えなかっただけだ」
「そうですか」
答える太宰の声は淡白だ。少しばかり驚いた様子を見せてはいるものの、まあそれぐらいは分かってもらって当然という感じであるのに。じいと太宰の様子を見てから福沢は口を開いた。
「あと、お前が薬を呑んだのがわざとだと言う事を分かっていたよ」
「……」
ちらりと太宰の目が福沢を見る。先ほどよりは驚きが強くなったように感じる。それでもまあまあと思われていそうなのにそっと息を吐き出す。武装探偵社の社長として値踏みされているのを感じながら、太宰を見る。言葉を紡ごうと口を開けた。
「わざわざあんなことをしなくともよかったのではないか。最後は刺されようとしていただろう」
「少々証拠が弱いと思いまして、警察は優秀ですからちゃんと牢屋にぶち込んでくれるとは思いますが、不安も残りましたので刺されて大けがしてしまえば一番いいかと」
「……馬鹿なことを言うな」
太宰の声は淡々としている。それを心底いい事だと思っていそうなのに福沢は一度口を閉ざした。どうしたらいいのだろうなと考えつつ、口を開く。福沢から出ていたのは少し低くなった声で、太宰は馬鹿ですかと首を傾けていた。
理解できなさそうな様子をじっと見つめる。
「今回の件についてきたのもこのためなのだろう」
福沢が問うのに太宰はええとあっさりと答えた。もうこれぐらいは気付いているだろうと思っているのが伝わってくる。
「話を聞いた時、少々怪しいなと思ったのですよ。それで調べてみたら案の定。ただ証拠などは何もない状況で殺そうとしているなど言っても追い出すことはできても掴まえることはできずに探偵社にいらぬ恨みを向けられることになる。
とはいえ、依頼人を殺されるわけにはいかない、となればここは私が依頼人の代わりに倒れて事件にするしかないなと思ったのです。
どういう方法で来るか、あの男を観察してみていたのですが、わりと分かりやすいもので良かったです。社長もありがとうございました。
ちゃんとあれを持っていてくれて、それにサイレンサーで撃ってくれていたのもよかったです。聞こえる距離ではなかったと思いますが、とはいえ、言い張られてしまえば少々困ったことになりましたので」
語る太宰の声は意気揚々としていた。依頼人や他のお偉い方にもいい印象を植えられましたし、きっと何かあれば探偵社に依頼してきてくれますよ。依頼人なんかは完全に私に惚れましたからね。破産するまではひいきにしてくれます。とにこにこと笑いながら話す姿は楽しげだ。先ほどまで淡白さはなんだったのかと思うほどなのに、福沢はじっと太宰を見ていた。
その顔には呆れが少し混じっている。はぁと出ていくため息。んと太宰が福沢を見る。褪せた目と目があるのに福沢は半目になりながら問いかけた。
「……その前に言うことがあるのではないか」
「はい?」
太宰の首は傾く。何も思い浮かばないと言うように何度か首をひねるのにじっと見つめていた福沢はまたため息を吐いた。
「このような無茶をしていいと思っているのか」
「無茶などしてしませんよ」
睨むように鋭い眼差しになりながら太宰に言うのに、太宰はぱちぱちと瞬きをしていた。ことりと首を傾けて何の話ですと言うように福沢を見てくる。福沢の顔は余計に険しくなっていた。
「毒を飲んでいま苦しんでいるだろう。それを無茶というんだ」
太宰の首はまた傾く。別に無茶ではないのではと思っていそうなのに、福沢は唇を噛みしめる。どういえば伝わるのか。考えるがすぐには答えは出ていかなかった。でないけれどここで何かを伝えなければ伝わらないままだろう。そう思い福沢は言葉を紡いでいく。
「仕事がうまくいってもお前が怪我をしたのでは意味がないだろう。仕事が仕事なだけあり、怪我をすることはあると分かっている。それでも私は社員にはできる限り傷ついてほしくないと思っているし、無意味にけがをするような真似は止めてほしいと思っている。
肉を切らせて骨を断つ。そんな真似はできればしてほしくない」
太宰の目が大きく見開かれた。ぽかんと開いた口。えっと零れていくような声。その姿のまま暫く太宰は固まっていた。俯いた頭。それでも何とか見えているのに下を向いている褪せた目が見える。
暗い色をした褪せた瞳はゆらりと揺れているようにも思えて。
「……ごめんなさい」
太宰から細い声が聞こえてきた。ごめんなさいともう一度太宰は口にしてくる。聞こえるか聞こえないか、それぐらいのかすかな声。肩に乗せた体、頭がゆっくりと福沢の背に隠れていた。
少しは伝わってくれたのだろうか。思いながら歩いていく。暫く会話も何もなかったのに、ふっと顔を上げた太宰があれと声をこぼしていた。社長と呼びかけてくる声に何を言おうとしているのか予測ができた福沢は歩いていく。あのと太宰の声が少し強くなった。
「えっと、社長。私の家向こうですよ」
戸惑うように太宰が告げて、指先が福沢が歩いていく方向とは別の方向を指さす。あの道を行かなければと過ぎっていた道を指さす。そうだなと言いつつ戻る様子はなかった。太宰が戸惑っているのに福沢が静かに声をだす。
「まともに動けないのだろう。暫くは私が面倒を見る」
静かだが強い口調には有無を言わさぬ強さがあった。えっと太宰の口が開いて、何を言われたのかと福沢を見る。それはと言いたげなのに声は出てこない。そんな太宰を福沢がそっと横目で見た・
「嫌、だったか」
「それはその」
少し気にするように問いかけてくる福沢。そっとその眉を下げているのに太宰からは要領の得ない声が出ていく。はっきりとしていることが多い太宰にはめったにない光景だった。困ったようにその眉が寄っているのに、決めたはずの福沢が困ったように眉を下げた。
「下心がある奴と共に暮らすのは嫌で当然か。すまぬ。そこまでは考えが回っていなかった」
「え……」
今思いついたのだろう。罰が悪そうに口を尖らせる。だめならばと口にしようとしていたのに太宰からこぼれたのは驚いたような声だった。そんなことは考えていなかったと言うように目を白黒させていく。
太宰の口からその場を何とか切り抜けようとする、視線を集めるための意味もないような声が出ていく。
「あーー、いやではありませんが、ただ迷惑でしょう」
「迷惑等そんなはずはないだろう。むしろこんな時ではあるもののお前の世話ができるのは嬉しい」
目を動かした太宰が呟く。それで何とかしたいという欲が見えるのに、福沢はその欲に答えてあげなかった。褪せた瞳は周りを見てそれから自信を見下ろす。
「そうですか」
小さな声が零れていた。太宰の瞳が福沢を見ようとしないのに、福沢は歩いていく。仕事の時はぺらぺらと煩い口だが、今日はもう何かを話しかけてくることはなかった。静かなのに歩いていく。
その途中肩に埋められていた顔がわずかに動いて、あたりを見ていたりした、何かを探すように上を向いたりもしていた。
あっと太宰が小さな声をこぼした。
歩いていた福沢は太宰を見る。背中の太宰は上を向いていた。つられて上を見上げたのに銀灰の瞳の中に大きな月が見えた。きらきらと月が輝いている。
「月ですね」
太宰の言葉に福沢は太宰を見た。ああ、そうだなと返す言葉に太宰はあの色なのですよと言っていた。太宰の手が月に伸びる。
「あの色と同じ呪いが私たちに掛けられているのです。美しくてひんやりとした呪い。だけど案外熱く焼け焦げてしまう」
光に照らされた手のひら。まぶしそうにしながら太宰が言葉を紡ぐのに空を見上げる。天高く昇った月はその高さゆえにどれだけ手を伸ばしても手に入れることはできなさそうだった。
「私は社長に嫌いになってほしいのです」
「だって呪いで優しくされてもむなしいだけでしょう。本当なら貴方は私を好きに何てならなかった」
太宰の声が聞こえる。それに福沢は何も言わなかった。
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